いつの間にやら・・・

2015.03.01 Sunday

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     人は〈いつの間にやら傲慢〉となり、
    常に自分は正しいとサッカクするようになり、
    人と諍いあらば、非はすべて相手にあると思ったりする。
    もちろん己自身も例外ではなく、
    よくサッカクしてカミさま、いやカミさんに叱られる。
    若い頃は、その傲慢・サッカクも、
    確かに甚だしかったと、自身で認めざるをえない。
    それでも老いるにつけ、今ではずいぶん謙虚になり、
    自分の誤りに対して、素直に頭を下げられるようになった・・・かな?
    チットは人の立場にたってモノを考えられるようになった・・・かな?
    いやいや悲しいかな、未だどうにも許せぬ人がタマには出てくる・・・。
    で、己のそんな感情はさておき、許せぬ人の感情にそって考えれば、
    アチラもおよそコチラと同じ感情で、たぶんコチラを許せんのだ。
    つまり、「ゼッタイ、自分がワルクナイ」と、互いに思っているのだから、
    こうなると和解の術はおよそないな・・・。
    もはや自身の日常から、互いに相手を切りすてるよりほか術はない。
     幸いこの歳になっても、己のまわりにはカミさんをはじめ、
    遠慮なく、シンラツに己の傲慢を諌める身内や友人がタクサンいる。
    このゲンジツは、チト辛くないでもナイ・・・。
    が、人生の中で、〈いつの間にやら傲慢〉となっている己を自覚するためには、
    面と向って己を諌め、正しく批判してくれるような人間関係が必要だと、
    今さらに思う、春三月となった今日この頃ではある。
     

    葬儀

    2015.02.28 Saturday

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       還暦を過ぎてからというもの、
      毎年のように、何人もの親類・友人・知人の訃報が届く。
      その度、己はオノレなりの哀悼と祈りを捧げとる。
      で、逝く人の数は、当たり前のごとく年々増える。
       無宗教・無信心の己に神や仏はない。
      もしあるとすれば、例えばアメリカインディアンと似た思考。
      太陽・大地・樹木・川、人もふくめた動植物などなど、
      あらゆる自然の命こそ、神に値する存在であり、
      人はそこから命をもらい、そこへかえる・・・、
      というようなものである。
       かような思考に至った五十代を過ぎてから、
      己はほとんど人の葬儀には行かない。
      が、どうにも深い関わりのあった人もあり、
      よんどころなく参加したことが何度かはある。
      結果、儀式の虚しい風ばかりを心に感じた。
      以来、どんなに深い関わりのあった人の葬儀といえども、
      それがたとえ親類であっても、今はまったく行かない。
      ただ、未だガンバッて生きとる兄や姉が、
      この先、己より早く逝って葬儀をするなら、
      たぶん欠席するわけにもいかんだろう・・・。
      が、許されるなら参加したくないのが本音ではある。
       世間一般からは、
      何と不義理・不人情・罰当りな奴と思われるかもしれん。
      しかし人を悼むも悼まぬも、
      儀式に出る出ないで、その深さを測れるわけではあるまい?
      ま、己自身は、いざ死んだら葬儀は一切やってくれるな、
      墓もいらんし、骨は砕いて、どこぞへ適当に撒いてくれと、
      常日頃、我が連れ合いに心の底から頼んどる。
      己がこの世からオサラバしたことさえ、
      可能な限り人に知らせてくれるなと・・・。
       あらゆる動植物は、死して無となり、土にかえればよい。
      墓石の中に骨と納まっては、なかなか土にもかえれんし、
      塵芥(ちりあくた)となって、
      宙(そら)を舞うことさえもままならんわい!

       

      早稲田・鶴巻町

      2015.02.27 Friday

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        《早稲田・鶴巻町》
         最近、声優の仕事で早稲田へ行った。
        四十数年前も昔、己は諸々の事情があって、
        早稲田の鶴巻公園すぐ近くのアパートに、一年ほど住んだ。
        酒屋さんの経営していたアパートで、
        酒を置いた倉庫裏にある、トイレもキッチンも、
        日当たりさえ全くない酷い部屋。
        (トイレと洗面は、全部外にあって、店員さんと共用)
        で、いくらの家賃だったか忘れたが、
        とにかくアパートとは名だけ、
        四畳くらいの、アバウトなただの空間じゃった。
         ここに住んで唯一のシアワセは、
        毎朝のように通った「鶴巻食堂」の飯。
        もうとうになくなッとるが、
        とにかく安くて、ボリュームがあって、
        味もまあまあだったと思う。
        納豆が大好きな己は、決まって納豆定食じゃったが、
        食堂を経営しとったおばさんには、
        よほど己が惨めっぽく見えたのだろう。
        いつも普通盛りの値段で、ライスを大盛りにしてくれた。
         今の早稲田は、あの頃の風景と比べ、
        人も、建物も、お店も、ずいぶん様変わりしたが、
        変わらずにぎやかなのは早稲田の学生諸君。
        昼過ぎ、声優の仕事が終わり、トンカツの店に入ったが、
        店内は学生であふれとった。
        ほいでもさすが学生の街。
        650円のヒレカツ丼は、それなりうまかったんだが、
        メシの量が山盛りで、半分も食えなかったわい。
        モッタイナイ・・・。

        《虫たちの日》

        2015.02.26 Thursday

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           己は2007年、《独歩》という座組でプロデュースをし、
          「虫たちの日」(作・別役実)を上演した。
          今は亡き青年座の名女優・今井和子さんとの二人芝居。
          少しボケ気味の、ま、よくある老夫婦の夕餉のひと時を、
          リアルに描写している、ただそれだけの、
          上演時間・一時間にも満たない小品の名作である。
           当時の己としては、今井さんの名演技もあって、
          なかなか面白い、よい舞台になっていたような気がする。
          お客さんの評価もワルクナカッタ。
           それにしてもあれから8年。
          現の己夫婦は、互いにモノ忘れは日常茶飯、
          少しボケはじめとるような気もするし、
          あの芝居の夫婦と、そっくりな日々がある。
          まことに〈虚は実なり、実は虚なり〉と言うしかない。
           

          オトメの横顔

          2015.02.25 Wednesday

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            オトメ。
            11歳・・・。
            オマエも、ずいぶんバアさんになったんだな。
            でも、この歳になってもナカナカ美人じゃないか?
            この若さなら、オレより長生きしそうだぜ。
            今日のお前は、ずいぶんおしとやかに見える。
            いつまでもお転婆でいいんだぞ。
            介護犬になるよりはな・・・。

             

            どうどうとつく嘘

            2015.02.24 Tuesday

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               役者や小説家は、舞台やフィクションで堂々と嘘をつく。
              しかしお客や読者に見抜かれず、リアリティーのある嘘として、
              巧みに表現し、客の感動をよぶのは、そう簡単なことではない。
              で、人は、かえって普段の日常生活の中で巧みに嘘をつく。
              昨日、西川農水相が「真ッ黒」な献金を貰って辞任したが、
              現実の中で、どうどう嘘をついても許される厚顔無恥の代表は、
              政治家をおいて他になかろう。
              ま、今の日本の政治家なんてぇーのは、
              おおよそイコール嘘つきの代名詞のように思える。
              比して、たとえばテキ屋の嘘にはまだ芸もシャレもある。
              が、権力者の嘘には、傲慢と保身の他に何もない!

              三下モドキ・・・

              2015.02.23 Monday

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                 昔、ギャンブルにハマっていた頃、
                亡き兄に厳しく忠告されたことがある。
                「三下モドキのことをするのはよせ」と・・・。
                それでもなかなかやめられず、
                あげく、借金の工面やらなんやらで、
                いろいろ兄に迷惑をかけてしまった。

                 ここ一年ほど、競馬も競艇もマッタクしとらんが、
                「ここ一年」で、今後もマッタクやらないかは・・・、
                たぶんシナイと思うが・・・ワカラナイ。
                ま、やったとしてもホンのタマにしかせんだろうし、
                カミさんのコワイ目も光っとるから、
                数百円というオカネでしかアソベない。
                それではちっともオモロクないのだ!
                 いずれにせよ、あの世の兄さん、どうか許しておくんなさい。
                たぶん己は、一生ケチな三下モドキでござんす!

                黒沢明の狂気?

                2015.02.22 Sunday

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                   昨日、いずれスカパーで放送予定の番組、
                  「黒沢明・映画予告篇特集」、
                  冒頭ナレーションの仕事をさせて頂いた。

                   かつて映画監督・黒沢明の絵コンテを見て、
                  その緻密さ、凄さに、己はビックラこいたことがある。
                  完成した映画の1カット、1カットの映像と、
                  撮影前に作られた絵コンテとが、
                  寸分違わぬと思えるほど重なっていた。
                  まさに彼は完全主義者の天才なんだと納得し、
                  ほとんど見ているその名作の数々を思い出した。
                   ま、比べるのもおこがましいが、
                  己が演出した舞台なんざ、ほんまにアバウトな下準備で、
                  もちろん絵コンテなんぞ書かないし、否、書けないし、
                  ぼんやりイメージしとった事前の演出も、
                  稽古に入ればコロコロ変わって役者によく叱ラレル。
                   イタリアの精神科医、チェーザレ・ロンブローゾは、
                  「天才は狂気だ」といったらしい。
                   凡人の己は、何となくナットクしつつホッとした!

                  《ごびらっふの死》

                  2015.02.21 Saturday

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                     己が一人で舞台活動を始めたのは、
                    確か43歳になってからだ。
                    で、最初に取り組んだのが「ごびらっふの死」。
                    原作者は、すでに無になっとる草野心平さんの長編散文詩。
                    いくつかわからぬほどの蛙の長老と若い娘蛙との恋愛話・・・。
                     
                    〈麦人独演〉なんぞという、
                    まことにエラそうな冠をつけてスタートした。
                    掲載した写真は、その上演活動の初期に撮ってもらったものだ。
                     己が四十代で演じるには無理もあったが、
                    十年ほどアチコチに招かれ、それなりの上演回数を重ねた。
                    七十を過ぎた今こそ再演したい作品ではあるが、
                    再演できるかどうかワカラナイ。
                     

                    アイディアマン

                    2015.02.20 Friday

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                       かのチャップリンさんは、
                      「アイデアは、それを一心に求めてさえいれば必ず生まれる」と言った。
                      確かに、己のごとき凡庸なオツムをしとっても、
                      「役者として、どないに作品を表現したらええか」と、一心に求めれば、
                      チャップリンさんとは天地の差ほど違いがあるが、
                      たまには創造的表現方法のアイディア一つくらい発見したりはする。
                      が、発見しても、それを具現化し、実際によい形にして表現するのは、
                      もうヒマラヤに登頂するくらい厳しい道のりで、
                      ともすればアイディア倒れになってしまうほうが多い。
                       アイディアを見ごとな映像に反映・具現化し、
                      映画史に不朽の名作を数多く残したチャップリンは、
                      やはりとんでもないアイディアマンであり、
                      芸術家であり、天才だったのだ。